名古屋高等裁判所金沢支部 平成3年(行コ)2号 判決 1993年2月24日
石川県金沢市彦三町1丁目15番5号
控訴人
金沢税務署長 埜尻榮次郎
右指定代理人
長谷川恭弘
同
山下純
同
土田栄
同
按田隆重
同
高橋利幸
同
本多猛
同
寺俊昭
同
高井和男
石川県河北郡津幡町字清水チ352番地4
被控訴人
中川道夫
右訴訟代理人弁護士
菅野昭夫
同
加藤喜一
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人の本件請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は第一,二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴人の求めた裁判
主文同旨
第二事案の概要
本件は,建築塗装業を営む被控訴人が,その昭和54ないし56年分(本件係争各年分)の所得税について控訴人がした更正処分及び無申告加算税賦課決定処分(いずれも昭和54年分については裁決で取り消された部分を除く。これらを合わせて「本件各処分」という。)中被控訴人が自認する所得金額(原判決添付別表三事業所得欄記載)を超える部分の取消を求めた事案である。
一 当事者間に争いがない事実
1 被控訴人は,個人で建築塗装業を営むものである。
2 被控訴人は,本件係争各年分の所得について申告をしなかったところ,控訴人は,被控訴人に対し,実額で把握した売上原価を基礎として推計を行って所得金額を決定し,これに基づいて更正及び無申告加算税賦課決定処分をした。
3 被控訴人の本件係争各年分の所得について控訴人のした更正・賦課決定処分並びにこれに対する被控訴人の異議,審査請求及びその結果は,原判決添付別表一記載のとおりである。
二 争点
1 推計の必要性
(一) 控訴人は,本件では被控訴人が控訴人の所得税調査に対して非協力的な姿勢に終始したため,やむなく右推計により,被控訴人の所得金額を算出したものであるから,推計の必要性があることは明らかである旨主張する。
(二) 被控訴人は,本件では関係帳簿を準備し,控訴人の調査に協力していたにもかかわらず,控訴人は,第三者が立ち会っていること等を口実に,調査を実施しなかったものであるから,推計の必要性が存しない事案である旨主張する。
2 推計の合理性
(一) 本件推計の合理性
(1) 控訴人は,本件推計の手法は,原判決5枚目表7行目から6枚目裏3行目まで記載のとおりであるところ,右のとおり実額で把握した被控訴人の仕入金額を売上原価とし(但し,昭和54年分は年末棚卸高を控除),同原価に対して倍半法による範囲にある業者(原判決添付別表二記載のアないしウ。本件同業者)を抽出し,これに基づいて被控訴人の所得金額を算出したことは,建築塗装業者の業態を最も適切に表すものであるから,本件推計には合理性がある旨主張する。
(2) 被控訴人は,控訴人の主張する本件同業者は3件と少なく,またその売上金額にもばらつきがあり,職業経験の点においても,昭和54年に開業した被控訴人とは異なっているうえ,後記の被控訴人の業態の特殊性や被控訴人の実額反証とも対比すれば,被控訴人の所得金額算出の基準とすべき類似同業者とはいえない旨主張する。
(二) 被控訴人の業態の特殊性
(1) 本件推計における外注費の扱い
ア 被控訴人は,被控訴人は開業当初,外注を行える状況ではなかったから,外注費を要する他の同業者とは異なる特殊性があり,したがって,外注費を売上原価に含めた仕入金額を基礎として,被控訴人の所得金額を推計した本件推計は不合理である旨主張する。
イ 控訴人は,外注費は個別事情性が強く,外注形態の違いによっても左右されるが,青色申告決算書によってもその態様,明細を把握することができず,個々の外注の形態を考慮しなければならないとすれば,類似同業者を選定することすらできなくなるから,結局外注費の多寡は,所得金額に影響を与える要因とはいえず,右倍半基準の中に解消されるべきものである旨主張する。
(2) 控訴人主張の所得金額について
ア 被控訴人は,「控訴人の主張する所得金額を前提に,それを得るのに必要な日数を計算すれば,同業者の想定実労働日数は,356日を超えてしまうが,これは控訴人の本件推計が不合理であることによるものである。なお,被控訴人は昭和55年1月から同年3月までの間は,津幡交通株式会社で臨時にタクシー運転手として稼働していたから,同期間中塗装業に従事する実労働日数が少なかったからといって,不自然であるとはいえない。」旨主張する。
イ 控訴人は,「被控訴人の右主張は,その主張する所得金額しかないことを前提とするものであり,そもそも失当である。被控訴人が一時期タクシー運転手をしていたとの右主張は,当審に至って初めてなされたもので,時機に後れた主張として排斥されるべきである。」旨主張する。
(3) 開業初年度であることをどうみるか
ア 被控訴人は,「被控訴人は,もとトラック運転手であったところ,転職を考え,金沢高等職業訓練校を卒業した昭和54年3月から塗装業を始めたが,当初は効率の悪い仕事しか受注できず,しかも顧客から信用を得るために,良質の材料を使用したりしたので,売上原価も高かった。被控訴人の事業がようやく軌道に乗り始めたのは,昭和56年になってからである。したがって,開業初年度であることは推計を覆す特殊事情に当たる。」旨主張する。
イ 控訴人は,開業初年度であることは,推計を覆す特殊事情には当たらない旨主張する。
3 被控訴人の実額反証について
(一) 控訴人は,「推計課税は,申告納税制度の下で実額課税をなしえない場合に,課税の公平を図るという観点から認められたものであるから,申告納税義務に違反し,税務調査にも応じなかったために,推計課税を余儀なくされた不誠実な納税者がこれを覆す実額反証を行うには,納税者の側で,収入と経費との対応関係を明らかにして,収益,費用をもれなく立証し,それ以上に収入がないことを合理的疑いのない程度に立証(証明)することが必要であるところ,本件で被控訴人は右対応関係に関する主張・立証を行っていないから,被控訴人の本件実額反証は,主張自体失当である。また,前記のとおり,被控訴人提出の書証の記載内容は,正確性,信憑性を欠き,到底信用できない。したがって,いずれにしても実額反証は成功していない。」旨主張する。
(二) 被控訴人は,「本件実額反証は,被控訴人が提出した書証の記載によって十分成功している。これによれば,控訴人のした推計を覆すことができるから,本件請求が理由あることは明らかである。」旨主張する。
第三争点に対する判断
一 推計の必要について
1 当裁判所も,本件では,被控訴人に対して推計課税を行うべき推計の必要があったと判断するところ,その理由は,原判決8枚目裏2行目から11枚目裏5行目までの記載と同一であるから,これをここに引用する。
2 被控訴人は,課税庁の有する質問検査権は,例外的,かつ権力的な作用であるから,その行使が許容されるためには厳格な必要性を要し,また調査理由及びその必要性を納税者に開示する必要がある,また納税者が希望するのであれば,民主商工会(民商)事務局員を税務調査に立ち会わせるべきであったのに,これをしなかったのは違法である旨各主張する。
しかしながら,所得税法234条所定の質問検査権は,当該税務職員に対して職権による調査の一方法として,当該調査事項に関連する物件の質問,検査を行う権限を認めたものであるところ,調査の範囲,程度,時期,場所,方法ないし調査時における第三者の立会の拒否等実定法上特に定めのない実施の細則については,それが社会通念上相当と認められる限度に止まる限り,税務職員が質問,検査の必要性と相手方の私的利益とを比較考量して行う合理的な裁量に委ねられていると解すべきである。
これを本件についてみるのに,前記認定(原判決引用)の下では,本件において江川係官が被控訴人に対して調査理由を明らかにせず,また第三者の立会を拒否したりしたことは,社会通念上相当な範囲を逸脱したものとはいえない。そして,他に江川係官において右裁量を逸脱したことを認めるに足る証拠はない。
したがって,被控訴人の主張は採用できない。
3 また被控訴人は,被控訴人は控訴人による調査の際には,帳簿を準備し,机の上に備え置いており,協力的であったにもかかわらず,控訴人は調査を行わなかったから,調査の必要性はない旨主張する。
しかしながら,前記認定によれば,被控訴人は,係官の再三にわたる事前の電話連絡にも応じず,臨場した際にも民商事務局員の立会に固執し,江川係官らの説得にもかかわらず,右立会が認められなければ,帳簿の閲覧には応じられないとの態度に終始したものであるから,仮に被控訴人が本件調査の際に帳簿を準備していたとしても,被控訴人が調査に協力的であったとはいえない。
したがって,被控訴人の主張は採用できない。
4 さらに被控訴人は,従来は税務調査の際に民商事務局員の立会が認められるという慣行があったにもかかわらず,本件調査の前年ころからこれが禁止されたという経緯があること,しかも被控訴人が石川県の民商の中枢メンバーであることにも照らせば,本件税務調査は,国税当局による民商に対する全国的な攻撃の一貫に他ならないから,違法である旨主張し,原審証人宮川外茂次及び原審被控訴人本人は右に沿う供述する。
しかしながら,本件全証拠によっても従来そのような立会を認める慣行の存在,江川係官が被控訴人主張のような意図をもって本件税務調査に臨んだことを認めるに足る証拠はなく,かえって,被控訴人はその事業規模からみて所得申告が必要であったと考えられたにもかかわらず,所得税の申告がなかったということが,控訴人の被控訴人に対する税務調査開始の理由であったこと,江川係官が被控訴人方に臨場した際,その場に宮川ら民商事務局員が居合わせたことから,江川係官が公務員の守秘義務,税理士法違反等の観点から右第三者の立会を禁止したことは,前記認定(原判決引用)のとおりであるが,右江川係官の措置が税務調査をなすにあたって担当者に与えられた裁量権を逸脱したものといえないことは,前判示のとおりである。
したがって,被控訴人の主張は採用できない。
二 本件更正の適否について
1 控訴人の推計について
(一) 証拠(乙1ないし3,原審証人田中信太郎,弁論の全趣旨)によれば,次の事実が認められる。
(1) 控訴人は,被控訴人の本件係争各年分の所得調査について被控訴人の協力が得られなかったため,被控訴人の取引先である株式会社共栄商会に対する反面調査によって把握した被控訴人の塗料等の仕入金額をもって,被控訴人の売上原価とした。但し,開業初年度である昭和54年分については,被控訴人の開業時における棚卸高は零であるが,年末には通常の業者と同様,一定の材料を棚卸高として保有しているとして,本件同業者の平均棚卸高1.3か月分をも勘案して,これを2か月分とみて,同年3月から12月までの仕入金額の月平均金額を2倍した187,548円を控除した残額750,190円を売上原価とみた。
(2) 金沢国税局長は,一般通達により控訴人に対し,金沢税務所管内において,建築塗装業を営む個人事業者のうち,本件係争各年分において青色申告書を提出した者で,
ア 暦年建築塗装業を営んでいて,①災害等で経営状態が異常であると認められる者,②小規模事業者で所得税法67条の2の規定により,収入及び費用の帰属時期を現金主義によることとしている者,③所得について更正が行われた者のうち,出訴期間が満了しておらず,又は現に係争中である者を除く者
イ 各年分の売上原価の合計が,被控訴人の売上原価のほぼ1/2ないし2倍の範囲内(昭和54年分につき370,000円以上1,500,000円未満,昭和55年分につき250,000円以上1,000,000円未満,昭和56年分につき620,000円以上2,500,000円未満)にある者の各基準に該当する事業者を選定するよう命じ,これを受けた控訴人は,右基準に該当する3業者(本件同業者)を選定し,その総収入金額,売上原価及び売上原価以外の必要経費の額から原判決添付別表二記載のとおり,平均売上原価率及び平均必要経費率を算出した。
(3) そして,控訴人は被控訴人の右売上原価を右平均売上原価率で除した金額をもってその総収入金額とし,これから売上原価及び総収入金額に右平均必要経費率を乗じた売上原価以外の必要経費をそれぞれ控除して,被控訴人の事業所得を算出した。
(二) 控訴人のした本件推計は前記認定のとおりであるところ,本件同業者の抽出基準は,その立地条件や営業規模における被控訴人との類似性,資料の正確性等の点ですべて合理的であり,規模,業態においても一応の類似性が認められるばかりか,総収入,売上金額率における差異は,まさにその個別性を平均化するに足るものといえる。そして,抽出された同業者の数も,その個別性を平均化するに足るものといえる。このことに,乙8によって認められる本件同業者の事業の実態をも勘案すれば,控訴人が右の同業者の算出所得によって被控訴人の算出所得金額を推計することは,合理的というべきである。
被控訴人の主張は採用できない。
(三) 被控訴人は,本件につきるる被控訴人の特殊性及び控訴人による推計の不合理性を強調し,本件推計の合理性を否定するが,いずれも採用できない。その理由は,次のとおりである。
(1) 同業者の選定について
被控訴人は,控訴人の選定した本件同業者は3件と少なく,しかもその総収入金額,売上原価率間には明らかな差異があって,到底類似同業者とはいえないから,本件推計は合理性を欠く旨主張する。そして,控訴人が選定した同業者が3業者であること,本件同業者の売上について所論指摘の差異があることは,前判示のとおりである。
しかしながら,同業者の平均値による推計の場合には,同業者間に通常存する程度の営業内容,営業条件の差異は,右平均値の中に捨象しうるものである。そして,前記認定のとおり,本件同業者の平均所得率には大きな差異がないことにも照らせば,控訴人が本件同業者を類似同業者として選定したことは,何ら不合理ではない。
なお,被控訴人は,乙1の基準に合致する同業者が本件同業者だけであることについては,これを認めるに足る証拠がない旨主張する。しかしながら,前記認定に照らせば,控訴人が金沢国税局の一般通達(乙1)に従い,同基準に合致する同業者として回答(乙2)したのが本件同業者3者だけであり,その他に右基準に合致する同業者がないことは,優に認められる。
したがって,被控訴人の主張はいずれも採用できない。
(2) 外注費の扱いについて
被控訴人は,本件推計は,外注による売上を一律売上原価に含めているから,自己請負の比率が高く外注費がほとんどないという被控訴人の実態とは合致しない旨主張し,原審被控訴人本人はこれに沿う供述をする。そして,証拠(乙9,10)によれば,控訴人は,本件推計においては,本件同業者について被控訴人の主張するような外注費の区別をしていないことが認められる。
しかしながら,同業者の平均値による推計の場合には,同業者間に通常存する程度の営業内容・営業条件の差異が,右平均値の中に捨象できるものであることは,前判示のとおりであるところ,外注費は,その経費の性質からも明らかなように,事業経営上不可欠必須な経費でなく個別事情が強いものであるから,開業初年度であるからといって,自己請負の比率が多い,あるいは下請先が材料費を負担するから,売上原価と売上金額とが比例関係を欠くといった関係に立つとは断言できない。
また,証拠(乙9,弁論の全趣旨)によれば,外注費は青色申告者が確定申告の際に提出する青色申告決算書においても,その金額以外には,その形態,明細を明らかにすることができない性質の金額であることが認められる。したがって,本件推計がこれを明確に把握していないからといって,何ら違法ではない。なお,被控訴人は,控訴人は外注費について被控訴人に直接問い合わせることが可能であったのに,これを行わなかった違法がある旨主張し,弁論の全趣旨によれば,控訴人がそのような問い合わせをしていないことが認められるが,前記認定の被控訴人の税務調査に対する非協力的な態度に照らせば,控訴人が改めて被控訴人に対し,そのような問い合わせをしなかったことが違法であり,同業者選定の合理性に影響を及ぼすとは到底いえないから,右主張は採用できない。
そうすると,本件において,外注費を推計したうえで被控訴人の売上金額を推計するのではなく,外注費もまた収入に対応する経費の一種であるとして,実額によって把握した仕入金額を基礎として,総収入額を推計し,これから所定の割合による経費を控除して被控訴人の所得金額を算出することもやむを得ないものであり,被控訴人の主張するような違法はない。その他被控訴人の主張する右事業形態の差異が,外注費を必要経費に含め,類似同業者の収入に対する平均必要経費率を出した本件推計を不合理ならしめる程度に顕著な,所得における差異をもたらす要素になりうることを認めるに足る証拠はない。なお,被控訴人は所得申告書から外注費が明らかになる旨主張するが,前記のとおり採用の限りではない。
なお,被控訴人は,推計にあたっては,青色申告者の中から被控訴人と同じく外注費がない,あるいはあってもその比率が僅かな者を選定すべきであるから,本件同業者は,類似同業者としては相当ではない,外注費といっても,種々の形態があるから,一括外注だけを考慮するのは不当である旨主張する。しかしながら,前判示の外注費の性格及びその他控訴人が選定した前記基準に照らせば,控訴人の選定した基準は合理的で,違法は認められないから,被控訴人の右主張は採用できない。
(3) 控訴人主張の所得金額について
被控訴人は,本件係争各年分の稼働可能日数に照らせば,控訴人の主張するような収入をあげることは物理的に不可能であるから,本件推計は不合理である旨主張する。
しかしながら,被控訴人の右主張は,被控訴人の提出する証拠に基づいて算出された実働日数及び一日当たりの売上金額が正しいことを前提としてなされたものであるところ,これが採用できないことは,後述のとおりである。そうすると,被控訴人が昭和55年1月から3月までの間津幡交通においてタクシー運転手をしており,この間塗装業に従事した日数が少ないという事実(甲26。なお控訴人は,被控訴人が右期間タクシー運転手に従事していたとの主張は,時機に後れた攻撃防御方法であり,却下されるべきである旨主張するが,本件事案の性格,当事者双方の主張の経緯,当該主張内容に照らし,採用できない。)を勘案しても,被控訴人の右主張は採用できない。
(4) 開業初年度であることについて
被控訴人は,もとトラック運転手をしており,職業訓練校において初めて塗装の技術を取得し,年度途中である昭和54年3月から建築塗装業を開業したもので,昭和55年ころまでは,技能も未熟で,しかも個人住宅のトタン塗替え等という,労力がかかる割に利益率の悪い仕事が主であり,しかも顧客の信用を得るために材料も良質のものを多量に使用していたから,開業直後で利益が上がらないという特殊事情を勘案すべきであるのに,類似同業者選定にあたってこの点を考慮しなかった本件推計は,合理性を欠く旨主張する。そして,原審被控訴人本人は右に沿う供述をする他,証拠(原審証人中川弘子,原審被控訴人本人,弁論の全趣旨)によれば,被控訴人(昭和10年生まれ)は,約20年間長距離トラックの運転手に従事していたが,転職を考え,昭和53年3月から金沢高等職業訓練校塗装科において1年間の研修を積んで,昭和54年3月から塗装業を開業したことが認められる。
しかしながら,一定の技能は要求されるものの,高度の熟練・特殊専門的な才能までは必ずしも要求されない塗装業の業態に照らせば,開業直後で効率が悪いという事情は,結局は売上原価の多寡に集約されるものであって,それ以上に本件同業者の平均率による推計自体を全く不合理にする程度の顕著な営業条件上の差異とはなり得ない。そして,本件全証拠によっても,開業当初の被控訴人の効率が悪かったことを具体的な数値を基に明らかにすることはできない。このことに,材料である塗装は,その性質上特に大量の在庫品を必要とするものとは考えられず,また本件推計が前記のとおり,仕入金額の2か月分を昭和54年の期末棚卸として控除していることに照らすならば,控訴人が本件推計において,昭和55年及び56年分について仕入金額を売上原価としたこともまた相当である。
したがって,被控訴人の主張は採用できない。
3 被控訴人の実額反証について
(一) 被控訴人は,日報(甲4,9,14),請求書控(甲5,10,15),領収証控(甲16,17)及び見積書控(甲18,19)を原始資料とし,これに基づいて売上一覧表(甲1,6,11),日報・工事日対比表(甲2,7,12)及び作業日日報整理帳(甲3,8,13)を作成し,これらに依拠して,被控訴人の本件係争各年分の総収入額を実額で算出したが,各必要経費については,その実額を裏付ける資料に乏しく,具体的金額を主張することができないとして,右総収入金額から控訴人の算出した前記売上原価及び本件同業者の平均経費率によって計算した経費の額を控除したもの(原判決添付別表三所得金額欄記載)被控訴人の所得金額であると主張する。
(二) ところで,控訴人は,申告納税義務に違反し,税務調査にも応じなかったため推計課税を余儀なくさせた不誠実な納税者が,実額反証によって推計課税を覆すためには,納税者の側で,収入金額と必要経費との対応関係を明らかに主張したうえで,収益及び費用をすべてもれなく立証し,納税者にはそれ以上に収入がないことを立証しなければならないところ,本件では,右対応関係がいまだ主張・立証されていないから,被控訴人の右主張は,そもそも主張自体失当で許されない旨主張する。
しかしながら,現行の所得税法上は,実額課税の場合と推計課税との場合とで,事業所得に対する課税について異なる内容の課税標準が設けられているわけではなく,推計課税といっても,実額課税とは別個の処分ではなく,ただ所得を認定する資料として,帳簿書類等の直接資料を用いるか,同業者比率等の間接的な資料を用いるかという違いに過ぎず,課税庁は,課税の要件事実たる所得金額についての主張・立証責任を負うものであり,このことは,当該納税者が申告納税義務に違反した結果課税庁によって推計が行われた場合においても異なるところはない。したがって,納税者による実額反証は,課税庁がした推計による本証を真偽不明にして覆すに足るものであれば足りるのであって,本件のように,納税者が課税庁の認定した所得金額が過大であるとの主張をし,これを裏付けるために総収入金額についての証拠を提出した場合においても,これを主張自体失当であるとして,一律に排斥すべきではない。さらに,税法上は,収入と経費との対応関係は,その年度中の経費であるという期間の点で対応しておれば,個々の経費が個々の収入と個別に対応しているということまでは要求されておらず,推計課税の場合にのみ特に右対応関係を要求すべき法的根拠もなければ,その必要があるともいえない。結局これらに照らせば,被控訴人の右実額反証が主張自体失当であるとはいえない。
したがって,被控訴人の本件実額反証は,主張自体失当であるとはいえないから,控訴人の主張は採用できない。
(三) しかしながら,証拠(甲1ないし19,25,27,乙12の1ないし3,13の1・2,14,17ないし19,原審証人中川弘子,原審被控訴人本人,弁論の全趣旨)によれば,被控訴人が所得金額を算出するにつき原始資料とされた各書類及びこれに基づいて作成された資料に関しては,次の事実を認めることができる。
(1) 被控訴人は,右日報については,原則として毎日記入している旨供述するものの,その記載は異なる日にまたがる受注工事別になされており,暦に従って連続して作成されたものであることを担保するものはない(被控訴人自身,工事内容を把握しているために,記憶が鮮明なうちに数日分を一括して日報に記載したこともある旨供述し,当日作成していないものもあることを自認している)ばかりか,書体,筆勢等に照らし,同一の機会に一括して記載されたのではないかとの疑いを生じさせる部分もある。この他甲4(昭和54年分日報)には,通常は稼働が行われないと考えられる8月14,15日に稼働したとの記載が一旦なされたうえで,抹消されているのに,これに代わる他の稼働日の記載はない。
(2) 請求書控については,甲5が昭和54年12月28日まで,甲10が昭和55年4月5日から昭和56年3月まで,甲15が同年4月8日から昭和57年4月30日までのものであるが,これらは一冊が2枚1組の複写式50組からなる市販の簿冊であるのに,その控えのえち提出されたものは,甲5で31枚(30組分・1枚重複),甲10で同34枚(同組分),甲15で同41枚(39組分・2枚重複)に過ぎない。
(3) 甲16は,市販の領収書控で,3組に分かれているが,いずれも表紙がなく,一冊が何枚綴りのものであるかも不明である。また,記載のある期間は,昭和54年5月から12月,昭和56年12月から昭和57年8月までの期間だけで,本件係争各年分を網羅するものとはいえないうえ,取引内容の記載されていないものもある。さらに,被控訴人は,この中で昭和56年12月31日(560038の分)については金額280,000円を180,000円に書き替えたことを認めているが,これに対応する請求書控はない。
(4) 見積書控である甲19は,一冊が2枚1組の複写式50組からなる市販のものであるが,控は20組しか提出されていない。
(5) 甲1ないし3,6ないし8,11ないし13は,本件訴訟のために民商事務局員が右日報,請求書控,領収書控,見積書控を検討して作成した書類であるが,売上一覧表に記載があるのに,領収書控による裏付けのないものもある。
(6) 被控訴人は,右書証にも記載がないものについては,銀行の通帳によって売上を確認したものもある旨供述するが,控訴人から指摘を受けながら,結局当該部分に関する通帳を提出しなかった。
(7) また日報等に記載された被控訴人の稼働日,稼働場所の中には,金沢地方気象台が記録した降水・降雪量及び日照時間ないし,同天候の影響を受けた金沢市周辺の交通渋滞事情に照らし,明らかに稼働が困難ではないかと思われるものも少なからずあった。
(四) 以上の認定に,右の甲号各証が本件更正,賦課決定処分に対する異議・審査請求の段階では提出されず,本件各処分から約5年が経過した昭和62年6月5日の原審第8回口頭弁論期日に至ってようやく提出されたことをも勘案すれば,被控訴人提出の日報等は,その記載内容の正確性につき多大の疑問があり,その内容すべてが虚偽であるとまでは断定できないとしても,これをもって被控訴人の売上金額が控訴人主張の金額を下回るものであるとの疑いを生じさせるものではない。したがって,本件訴訟後これに依拠して作成された書類も同様信用できない。
被控訴人は,右認定の書類の不備は,開業間もない零細業者である被控訴人が記帳技術上稚拙であったことから生じた単なる過誤に過ぎず,他の証拠によって補完することが可能である,また領収書中本件訴訟に提出されなかったものは書き損じたものであり,その控えを保存することなど被控訴人にとって思いもよらなかった,また仕事内容が被控訴人にとって明確であるので帳簿上記載しなかったり,同業者間で工賃を相殺したり,当事者間で領収書を発行しないとの了解が成立している取引もあったから,帳簿等に記載がなかったからといって,いずれも内容の信憑性全体を左右するものではない旨主張し,甲25,27,原審被控訴人本人の供述中には,右に沿う部分がある。
しかしながら,被控訴人の右弁明は,右認定の事情を到底正当化するものではなく,被控訴人の主張は採用できない。
(五) 結局,右の各書証から被控訴人の本件係争各年分の売上金額が控訴人の把握した金額を下回るものであるとの疑いを差しはさむことはできないから,被控訴人の実額の主張は,推計によって算出された控訴人主張の所得金額を覆すに足る反証とはなりえない。
4 右のとおり,控訴人が合理的な推計により計算した被控訴人の本件係争各年分の事業所得金額は,昭和54年分が2,330,231円,昭和55年分が2,377,970円,昭和56年分が5,054,015円とみるべきであるから,いずれもその範囲内でなされた本件更正は適法である。
三 本件賦課決定処分について
被控訴人が本件係争各年分につき前記のとおり事業所得を有すること,それにもかかわらず被控訴人が所得税の申告をしなかったことは,いずれも前判示のとおりである。そうすると,控訴人が被控訴人の右無申告に対してした本件賦課決定処分は適法である。
第四結論
以上のとおり,本件各処分は適法であり,被控訴人の本件請求はいずれも理由がないから,これと結論を異にする原判決は相当ではなく,控訴人の本件控訴は理由がある。
よって,原判決を取り消して被控訴人の請求をいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 横田勝年 裁判官 田中敦 裁判長裁判官井上孝一は,退官のため署名捺印することができない。裁判官 横田勝年)